相手役

いま、オンラインの論文読書会は、野田俊作『アドラー心理学の基本前提(3)対人関係論』を読んでいる。そのなかの、「相手役」についてのディスカッションが印象的だった。

 

電波の調子が悪く、画面がフリーズし、みなさんの声が切れ切れに聞こえる状態だったが、それでも、想像力(妄想力?)で補いながらw、参加させていただいた。

終わってからも、つらつら考えている。

 

アドラー心理学では、人間のすべての行動は対人関係行動で、いつでも他者に向けられていると考える。

「相手役」について、論文では、

個人の行動には、かならず『相手役』がいるのです。このことはカウンセリングでデザインするうえでとても大切なことです。相手役の行動が変われば、個人の行動が変わるのです。たとえば夫婦関係や親子関係で、一方が変わればもう一方もかならず変わります。相手役の反応とかかわりなく同じを行動とりつづけるというようなことはないのです。

とある。

 

対人関係を、コミュニケーションにおける相互作用から考える。

「困ったできごと」について、「他者をそうさせている私がいるのかもしれない。」と考えることで、「私にできることは?」と、自分の行動を変える解決像を考え始めることができる。

さらにアドラー心理学では、「どうすれば私も他者もともに幸せになれるだろうか?」と考える。「他者は私のために何をしてくれるか?」だとか「他者にそれをさせるために、私にできることは?」とは考えない。

よって「悪いあなた、かわいそうな私」という発想から抜けられて、他者とともに幸せになる道が開けてくる。

 

パセージ8章に、「私はいつでもあなたの味方です」と決心し、子どもにそれを言ってみませんか?という提案がある。(テキスト36L)

「~のときだけ味方です」というような条件つきではなく、「いつでも味方です」というところが迫力がある提案だと思う。

 

わたしは、子どもに「私はいつでもあなたの味方だ」と言うには、抵抗がある時期があった。

「悪いあなた、かわいそうな(正しい)私」をやっていた。わたしには固い自己執着があった。べき、べき、とこだわっていた。

 

・・そんなわたしにも、この言葉は力をもっていた。

 

ある瞬間、いま言おう!と、勇気をふりしぼって、「私はいつでもあなたの味方です」と言ってみた。

恥ずかしいのが先だって、あまり心はこもっていなかった…。

だが、子どもは喜んでくれた。

子どもの反応が嬉しかった。

それまでギクシャクしていた関係に変化が起こった。春になって雪が溶けていくように。

わたしの固い自己執着もだんだん溶けていった。こだわる必要がないこともわかった。

 

「一方が変わればもう一方もかならず変わります。相手役の反応とかかわりなく同じを行動とりつづけるというようなことはないのです。」という体験をした。

 

そんなことを思い出した・・。

 

親子関係にかぎらず、自らの決心と勇気で、他者との関係を変え、他者とともに幸せになることができる。他者に与えることによって、自らも他者も助かることを、改めて確認できた読書会だった。