次の一歩

父のもとに補聴器がきた。

これで父はみんなの話やいろいろな音が聞こえやすくなる。みんなも大声で話さなくてもよくなる。

 

父が昨年8月末に退院して、顕著に耳が遠くなっていたので、父に補聴器を使うことを勧めたのだが、父は「まだ要らん」の一点張りだった。

まあ、みんなが父に大声で話せばなんとかなるので、そのままにしておいた。

 

それが、2月末の訪問診療のときに、父が先生に「耳が聞こえにくいもんですから…」と言ったことが発端となり、事が動いた。

その数日後、父は訪問看護の看護師さんから、「先生からです」とパンフレットをもらった。

パンフレットは、高齢者むけの聴力検査の案内だった。

パンフレットには「耳が聞こえにくいのを放置していると、認知症のリスクが高まるので、聴力検査をして適切な対処をしましょう。」というようなことが書いてあった。

 

父は、 "認知症"の部分に反応して、「認知症とはなんじゃ!」と気分を害していたw

…父にとっての"認知症"は、有吉佐和子の『恍惚の人』なのだ。言葉もよく通じなくなって、徘徊や異食や幻覚や弄便など行う人=父にとっての"認知症"なのだ。父は、自分が、そんな”認知症”のリスクが高まっている、とみなされたと思ったようだ。

 

続けて父が「入院中に、認知症のテストがあって、半分しかできんじゃったが、先生から、年相応だから心配ないと言われたんじゃっ!」と言う。

…そんな話は、初めて聞いたぞw

…ああ、だから父の治療計画書の、「認知症」の項目の、5段階評価の1段階目「何らかの認知症はあるが、家族や社会的な自立はできている」にチェックが入っていたのか。なんとなく、いろんなことがつながってきたぞ。

 

「お父さんは年相応の状態で、"認知症"ではないし、これから"認知症"になることもないだろうけど、耳が聞こえにくいのは治したほうが、もっと暮らしやすくなるということじゃないのかな?」と言うと、

認知症とはなんじゃ。」とまだお怒りだ。

こんな風に怒るということは、認知症を気にしているということでもあると思うので、どうしたものか…。

 

わたし自身も、父の介護に深くかかわるようになって、

認知症とは、軽度~重度までと5~7段階の段階があって、本人や家族が、どの程度不安や困難を感じているかによっても評価がさまざまだということを知った。

 

退院後の父をみていると、父の耳が聞こえにくいことが、95歳という年相応の認知力の低下を助長しているように思うことが度々ある。

補聴器など使うことで、それまでぼんやりとしていた音が聞こえるようになると、父の QOLがいくらか上がると思う。

 

父に「耳がよく聞こえるようになると、今より生活の質が上がると思うよ。」と言ってみるも、

「耳は聞こえる」と言うw

 

今は話ができないと思って、「イヤなら聴力検査は無理にしなくてもいいと思うよ。」と父に言って、

そのままにしておいた。

みんなが父に大声で話し、「物忘れ」や「勘違い」や「(父にとっての)考えるのが難しいこと」についてはわたしが補えば、今のままでもなんとかなるので…。

 

それが、WBC侍ジャパンの決勝戦のあと、父が外歩き用の歩行器を使って外を歩くリハビリをやりたいと言うのと同時期に、聴力検査をやってみると言うのだ。

侍ジャパンは、父に、良くなろうとする力を与えてくれたのだと、また思ったのだった。

 

すぐに、ケアマネさんに相談して、訪問での聴力検査を手配していただいた。

検査結果は、ざっくり言うと「中程度の難聴」だった。

「中程度の難聴」は、補聴器の効果がもっともあるらしい。

 

検査のあとで、父は補聴器を試してみた。

父は「よく聞こえますなーー!」と驚いていた。

その後、話はパタパタと進み、父の聴力に合わせて調整した補聴器がやってきた。

 

父はさっそく補聴器をつけて暮らすことにしたようだ。

「補聴器の人が、補聴器をするようになると脳が活性化すると言うとったが、そうかもしれん♪」と嬉しそうだ(笑)

覚醒が上がった感じがするのかな。

よかったね。

わたしは、父とふつうの声でやりとりができるのが、なにより嬉しい。

 

外を歩くリハビリのために外歩き用の歩行器を使いたいと父が言ったとき、大きな一歩だと思ったが、

今回の補聴器は、次の一歩だと思った。

最近の意欲的な父に、わたしは元気をもらっている。

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庭に春の花が咲いてきた。

摘んで活けて飾ってみる。

眺めていると、わたしはお花にも元気をもらえる。