終末期について

昨日は、午前中に訪問看護の師長さんが、午後から訪問診療の所長先生がいらした。どちらも明るい熟年世代のおばさまで、父とも上手に関わってくださった。

それぞれ1時間以上、丁寧に父の話を聞いてくださった。

 

終末期についても話が及んだ。

父は「もうすぐ95歳ですからな~、最後は、自分も周りも気がついたら死んどった(死んでいた)というような死に方がいいですなあ~」と言っていた。そりゃ、それがいいのは理解できるけど、そうは行かないのが人生ってものだ。

 

父としては、終末期は、人工呼吸器や胃ろうなどの延命医療はやらず、苦しくないことを最優先にしてもらいたいと言っていた。

そして、状況に応じて、家族と病院と在宅医療の世話になりたいそうだ。終末期になって施設に入るという選択肢もあるのかもしれないが、それはあまり気が進まないと言っていた。

7年くらい前に胃潰瘍で入院したときに、なんとなく話したことがあったが、今回あらためて、父からこうした話を聞けてよかったと思う。

 

父は自分の死後のことについては、戒名はすでに菩提寺の住職さんからいただいているし、四十九日はどうしてほしいとか、法事は何回忌までやってほしいとか、お布施はいくらだとか、いやまあほんとに事細かに希望を書き残している。

まあ、わたしも生きていればだが、父の希望に沿うつもりだ。

が、終末期について具体的な考えを聞いたことがなかった。なので、今回考えを聞けてよかった。

こちらもできるだけ希望に沿いたい。そのためには、父の医療と介護におけるキーパーソンのわたしが元気でいることが前提なので、わたし自身の心身のお手入れにも気を配ろう。

 

…と、今日も一日 無事に過ぎた~と、リビングのソファーでうたた寝をしていたら、父から「こけた。頼む。」と携帯メールがきた。びっくり。

急いで行くと、寝室で転んでいた。寝室が真っ暗で方向感覚がわからなくなって身体が崩れたようだ。転ぶと自力ではまったくもう起き上がれないのだ。

父は怪我などはなく、「今度から豆電球をつけっぱなしにして真っ暗にしないようにする」と言っているが、危なっかしいなあ。

明日は父の寝室での父の動作の確認と、見直しをしよう。