福祉用具の会社のFさんが、テーブルつき歩行器を持ってきてくださった。これまでのテーブルなし歩行器と、数日間使い比べてみて、父が使いやすいと思う歩行器に決めることになった。
Fさんと父と3人でいろいろしゃべってると、Fさんが控え目に、「うちでは無料の聴力検査をやっていますし、もし必要なら補聴器も取り扱っています。購入後の調整も、訪問して調整させていただきますよ~。」とパンフレットを出された。
Fさんもわたしも、大声で父と会話していたのだから、自然な流れではある。
父は入院前も耳がだいぶ遠くなっていたが、退院後さらに遠くなってしまっている。みなさん、大声で父と会話してくださっている。
義母や叔母たちも補聴器を使っているので、わたしは、この機会に父も補聴器を使うと良いと思った。この会社だと、なにもかも家でやってもらえるのもいいなと思った。
ところが父はFさんに、「聞こえてますから、まだええです。」と言う。
「おとーさん、聞こえてるって、それはみんな大声でしゃべってくれてるからだよ。聴力検査だけでもやっていただいたら?家にきていただけるそうよ。」とわたし。
「いや、まだええ。」と、少し不機嫌そうな父。
わたし、………。モヤモヤ。
心の声は、おとーさんが聞こえるようになると、おとーさんもわたしもみんなも楽になるだろうに…と思っていた。
Fさんは空気を読んで、「必要があったらなんなりとお申し付けください」と帰っていかれた。
こういうパターンが時々ある。
父としては、聞こえてると言ってるのに、わたしが決めつけて父を聞こえない人扱いして、おまけに他の方の勧めに乗っかるわたしにカッチーンとくるのだろう。
このパターンから抜けるには、先ず決めつけないことだ。父が「できる」と言っていることは、とにかく「できるんだ、良かった!」と思うことにする。その上で、父がもし困っていることがあれば、それを手伝うのがわたしの役割だ…と思い出すことだろう。
聴力について、たぶん父は困ってない。「は?」と父が言うと、父に関与している人はみんな、聞こえるように話してくれるから。父が必要とする情報はおおむね父に入っている。
テレビだって、音は大きいが、聞こえている。音量も周囲への迷惑はない。
結局のところ、わたしが、父に補聴器を使ってほしいのだ。それは、父を置いてきぼりの善意だ。父は補聴器は「いや、まだええ」と言っているのだから。
聞こえないから補聴器を使う、という発想から離れよう。
そのために、わたし自身の目標を変えよう。
大声は、わたしの場合、金切り声になりやすい。
では、「きれいな大声を出す」を目標にしてみたらどうか?
「きれいな大声を出す」ためには、
自分の感情に敏感になる。
腹式呼吸になる。
滑舌もよくなる。
声帯もやわらかくなる。
きれいな大声は、父にも心地よく響くだろう。
うん、そうしよう。
なんだか楽しくなってきた。
父とは、もういつまで一緒にいられるかわからないのだから、父の思いに寄り添って、優しくしよう…。
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次女のところの孫が2歳になった。桃のケーキを作ってお祝いしたそうだ。
アンパンマンも手作りだそう。孫はいまアンパンマンが好きらしい。
年子育児で忙しいだろうに、マメなママだ。