父の家のシャッターが壊れた話

父は、この1ヶ月、転倒もなく、誤嚥もなく、風邪をひくこともなく、寝たり起きたりして過ごしている。穏やかに暮らせていると思う。

 

そんななか、年末に、父の家の居間の、掃き出し窓の電動シャッターが壊れて、閉まらなくなってしまった。このときの父は穏やかではなかった。

 

年末だったので、修理にきてもらうのに数日かかると修理屋さんに言われた。

父は「無用心じゃ。夜中に窓ガラスを割って泥棒に入られては困る」と言う。

 

塀を乗り越えて、夜中にガラスを割ってまで泥棒が入るとはあまり考えられないと思った(金目のモノもない)が、父の頭のなかは、泥棒がガラスをガシャーンと割って侵入することでいっぱいになっていた様子だった。

何度も「夜中に窓ガラスを割って泥棒が入る」と繰り返す。

 

そこで、窓が5ミリ以上動くとブザーが鳴る警報器を長女が持っていたことを思い出し、長女に相談すると、いま使っていないから貸してくれると言う。

ありがたく借りて、至急父の家の窓に設置した。

警報器の裏側には、「防犯ブザー警戒中」という外部に向けてアピールする警告ステッカーがあり、窓越しに侵入を抑止する効果も期待できると思った。

 

ブザーのテストをして、派手な音が鳴ることを確認した。

が、父にとって聞こえにくい音域の音のようだった。

「(居間のとなりの)寝室にいると、ぜんぜん聞こえん。」と言うw。

「お父さんが聞こえなくても、わたしはとてもよく聞こえるよ。ご近所にもこの音はよく聞こえると思うよ。泥棒はビックリして逃げていくよ。もしこの警報器が鳴ると、わたしが110番するよ(わたしの寝室は、父の居間の真上にある)。」と言うと、

「そうか。」とこのときは納得したようではあった。

 

…だが翌朝、父の家に行くと、「一睡もできんやった」と言う。

「気になって眠れなかったの?」と聞くと、

「泥棒が入ってこんように、ときどき居間の窓のそばに座って、見張っておった。」と言うw。

 

それを聞いて、わたしは、父が「毛利藩の家臣の末裔」という物語(家族神話)を生きてきた人だったことを思い出した。

95歳になって、耳が遠くなり、認知力が少しあやしくなり、背中が曲がり、支えなくして立っておれなくなっても、「攻めてくる敵は迎え討つ」という物語を今も生きているのだと思った。

…父はこういうペルソナを持ってる。

刀のかわりに杖を持ち、窓の外側ににらみをきかせ、待ち伏せして、敵の侵入から「お家」を守る、95歳のじいの絵がわたしには見えた。

 

…わたしは「そうだったんだ。見張られていたら、泥棒も入ってこられないね。何事もなくてよかったね。」と父に言った。

 

95歳のじいにとって、夜の見張りを続けることは過酷だ。

じいをお支えする者として、

援軍投入作戦を思いついた。

わたしが見張る、SEC○Mを一時的に利用する…。

 

援軍投入作戦について父に相談する前に、まずはダメ元で、修理屋さんに、「無用心で夜一睡もできないと言っているのですよ。もし可能なら、早く来ていただけるとありがたいのですが。」とお願いしてみたところ、修理屋さんは「いま近くにいるから」と、すぐに来てくださった。

たまたま部品も持っておられて、なおしてくださった。

年末の忙しいときに、親切にしていただいて、ありがたかった。

おかげで、援軍投入作戦はなくてすんだw。

 

…もう「敵の侵入」はない。

かくして、父の穏やかな日常が戻った。

 

…この出来事を通して、またしても、父はずっと父なのだということが理解できたのだった。

父の人生の物語に寄り添って、父の手伝いをしたいと、あらためて気づかせてもらった出来事だった。