家族布置(family constellation)

4月のオンラインでのアドラー英語読書会は、

Eva Dreikurs『Adlerian Theory :An Introduction 』(対訳版『エヴァ・ドライカース『アドラー心理学へのいざない』大竹優子・河内博子訳)の67ページを読んでいった。

わたしが当番だったので、予習をして、よく考えてのぞんだ。(当番じゃないときは行き当たりばったりだ笑)

 

今回は、「家族布置(family constellation)」について、いろいろな視点からみんなでディスカッションした。

 

The age difference between children in the family and the sex of the siblings  each plays a role in the family constellation. The family constellation defines the "characters in the drama" of the early formative years of each person. A full description of the family constellation includes the sex and ages of all the family members that were living in the chaild's home in his or her formative years. This may have included grandparents, aunts and uncles,and any other persons who were integrated into the household and lived with the child.

(家族内の子どもの年齢差やきょうだいの性別は家族布置においてそれぞれ役割を演じます。家族布置はそれぞれの人の人格形成早期における「ドラマのなかの役割」をはっきりあらわすものです。家族布置の完全な記載には、その子どもの人格形成期に家庭にいたすべての家族のメンバーの年齢と性別が含まれます。祖父母やおば・おじ、他にも同じ所帯にいてその子どもと一緒に暮らした人があるかもしれません。)

 

アドラー心理学のサイコセラピーでは、クライエントの人格形成早期の思い出を手がかりに、その人が人格形成期にその家族のなかで、どんな風にその家族を解釈し、どんな役割を演じていたかを見ていく。そして、これからの、その人にとっての人格の成長を一緒に考えていく。

 

すべての人に、それぞれの家族布置の意味づけがある。

 

たとえば、わたしの場合で考えると、わたしは単独子(ひとりっこ)で、人格形成早期には、両親と、祖父母、ふたりの叔母たちと7人家族で住んでいた。

単独子は、「巨人に囲まれている感じをもって育つ」と言われるようだが、わたしもそう感じていた。

あたりまえだがみんな大きくてなんでもできるw

12歳年上の叔母とはよく遊んでもらったが、小さいわたしから見たら、その叔母も、なんでもできる「巨人」だ。(とわたしは意味づけていた。)

家族のなかでの「役割(a role in the family constellation)」としては、わたしは巨人の国で、巨人たちみんなの期待に応えてがんばっている「よい子の小人さん」を演じていた。と思う。

わたしには、周囲の期待に対して、まだ足りないまだ足りないと、がんばりすぎる「原型」というか「クセ」がある。

がんばりすぎると、自分や周囲に弊害が起こることがある。

…ということに、気づいた。

 

それで思春期以降、わたしは、わたしの人生、自分で決めたいと強く思うようになった。

それが、家族の期待に反することも多々あった。

そうなると、「よい子の小人さん」ではなくて「わるい子の小人さん」の感じがするのだw

もう背も高くなっていろいろできるようになって、そもそも「小人さん」ではないのに…w。

家族だって、それぞれ年をとって、「巨人」ではなく、状況もさまざま変わっているにもかかわらず…w。

…ということに、気づいた。

 

人は、対人関係で困っているとき、その人の人格形成早期の役割に、はまってしまっていることがよく見うけられる。

アドラーは「人生はドラマだ」と言った。誰もが、人生のドラマのなかで、それぞれの役割("characters in the drama")を演じている、という考え方だ。

そして、ドラマだから、その役割を、自らの決心で変えることができる、と考える。

 

この考え方を知って、わたしは、「よい子の小人さん/わるい子の小人さん」という役割をやめることにした。

なぜなら、それは他者基準の生き方だし、現実にそぐわないから。

 

自分がどうしたいのか?と自身に問いかけながら、

マインドフルに「今」をみて、

みんなのことも考えて、関係者の話をよく聴いて理解し、自分の思いもちゃんと伝えて、理解し合う努力をし、よく相談したうえで、分担できるところは助けていただき、わたしにできることをする、そんな「やわらかな大人」の役割("characters in the drama" )をめざすことにした。

そう決めると、すっきりした。

 

父の介護も、父が自宅で過ごしたいと望んでいるのもあるが、わたしがやりたいからやっている。

ただ、ついうっかり父の期待にこたえてがんばりすぎないように(わたしの期待も父に押しつけないように)気をつけているw

 

それでもまあ時々、申し訳ない、もっとがんばらねば、となる「小人さん」が出てくるが(笑)、それも個性でわたしの一面。

「弱さ」と「強さ」をあわせ持つのが人間で、それがまた味なのだと思えるようにもなった。

 

…そんなことを考えた、今回の英文読書会だった。

 

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宣伝です。

「Parent education is thus vital, since future difficulties can be prevented when patients learn to raise their children in line with Adlerian principles.(親教育は欠かすことができないものなのです。というのは、親がアドラー派の原則に沿って子どもを育てるようになるなら、未来の困難が予防できるかもしれないのですから)」と、E・ドライカースもこの著書のなかで言っています。

流山市で、アドラー心理学にもとづく子育てについての教育講演とプチパセージが開催されます。

講師は、AIJ(Adler Institute Japan)認定パセージリーダーさんです。

育児学習(parent education)について、わかりやすくお話してくださる方です。