平等の位置

AIJ(野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japan)の新春オンラインシンポジウムに参加した。

毎回聞きごたえのあるお話なので、楽しみにしている。

今年のテーマは『アドラー心理学しあわせのかたち~平等の位置~』だ。

 

まずは、中井亜由美氏が「親と子の平等の位置」という視点で、王様でもなく奴隷でもない「平等の位置」の親子関係についてお話してくださった。

親が王様のように子どもを支配し従わせるのでもなく、奴隷のように子どもの言いなりになるのでもない、親子で話し合ってともに解決していく「平等の位置」の育児の具体的な方法について、わたしたちが陥ってしまいがちなケースをもちいて、わかりやすくお話くださった。

 

次に、野田文子氏が「アドラー心理学は苦行か?」という興味深い視点で、イヴォンヌ・シューラ―先生のアドラー心理学の治療構造に沿ったお話をしてくださった。

困っているときこそ、その現場における「自分への関心(Self-boundedness)」を落ち着いて理解し、その現場における「他者への関心(Social Interest)」へと視野をひろげることによって、わたしたちは変容し、現場のみんなと共にしあわせになる行動を選べるのだ。それを「苦行」ではないかたちで可能にするシステムとして、アドラー心理学治療共同体(自助グループ)でのエピソード分析があるのだと確認できた。

また、たとえば「共同体感覚」という言葉を説明するとき、「自己執着」といった対立概念を示して説明することによって意味が明確になり深まる、抽象的な言葉であればあるほどそれが有効だというお話はなるほどと思った。

 

最後に、大竹優子氏が「Social Equalityという考え方」という視点で、アキ・ヨタム先生の講演録『Equality of Social Intereat』を和訳してくださり、「社会的平等」について語ってくださった。

「社会的平等」は、「社会的劣等/優越(感) :social inferiority/superiority (feeling)」と対義の意味を持つというお話も興味深くうかがった。

あわせてジビット・アブラムソン先生の著書『アルフレッド・アドラーの理論 10の原理』のなかの「社会的平等」にも言及してくださっていた。

ジビット先生は、「(平等の位置においては)個人の要求と、集団、夫婦、家族、人類の要求は、ひとつの同じものであり。したがって共同体への利益となる。」と述べておられるが…。

…「社会的平等」については、とても深いお話だと思うので、しばらく考えてみたいと思った。

 

ともあれ、どのお話も、文献を丁寧に読みこんだ説得力のあるお話で、深く学べたし、もっと学びたいと思った。今後の日々の暮らしへのヒントもたくさんあった。

 

アドラー心理学がいう「平等」とは、「同等」「画一」とは違う。

「全ての人は同じではないが平等である。ひとりひとりが特別で、居場所があり、違いを作り出し、貢献することができる」と、『アルフレッド・アドラーの理論 10の原理』17-R に説明されている。

アドラー心理学の「平等」の考え方を知ったとき、この考え方はわたしにとって目から鱗だった。

違っていてまったくOK.、凸凹◯◻️違ったままで、人々のなかで個性や能力を発揮して、協力しあって、調和して(同調ではなく)暮らしていくことができるのだ!

イヴォンヌ先生は、平等の位置こそrealityとおっしゃったそうだ。

それを、「自分と相手が同じでなければならない」と考えて相手を(自分をも)裁くから、苦しくなるのだと気づいた。「自分と相手が同じでなければならない」「自分の価値観が絶対正しい」という考えに執着すればするほど、苦しみは深まるのだと気づいた。

そしてこの苦しみは、自分で作り出した「優越/劣等」の縦の階段の物語、fictionにすぎないのだ。

 

「平等の位置」という考え方とその実現方法をもったアドラー心理学は、家族をはじめとするあらゆる人間関係において、しばしば自分で作り出した縦の階段の物語の住人になってしまうわたしにとっては、これまでも有用だったし、これからも有用だと確認できたシンポジウムだった。