AIJ(財団法人野田俊作顕彰財団 adler Institute Japan)のオンラインでのシンポジウムに参加した。
テーマは、「アドラー育児の目指すところ」だ。
シンポジストのお三方のお話それぞれが、よく練りあげられた深い内容で、たいへん有意義なシンポジウムだった。
アドラー心理学育児が最も大切にしているものはなにか?
「責任をもって社会に貢献していける(responsible and contributive)、そのような大人に育てる」ということだ。そのためには「共同体感覚に一致している共通感覚を子どもに教える必要がある」ということだ。
これは、アドラー以来の一貫した、育児・教育の目指すところだと思う。
その「軸」が一本しっかり通った育児について、お三方がそれぞれの視点からお話くださった。
なかでも、「論理的結末」についてのお話が、わたしには勉強になった。
「論理的結末」とは、
「あなたが今しているAという行為を続ければ、私はあなたに対してA'という対応をします。代わりにBという対応を始めれば、私はあなたに対してB'という対応をします。どちらでもよい方を選んでください。」
という風にアプローチするやり方で、
行為と結末の間が『論理的必然性』によって結ばれている。
(野田俊作論文「論理的結末」より引用、『アドレリアン』通巻12号,1993)
である。
シンポジストの野田文子氏が、「論理的結末」について、アメリカのアドラー育児の複数の文献と、野田俊作氏の複数の論文をもとに、その共通点と違いを、たいへんわかりやすくお話くださった。文子氏が、後半の鼎談で、「力尽きました」とおっしゃっていたが、アドラー学習者のためにとても骨の折れるお仕事をなさったと思う。ありがとうございました。
「論理的結末」は、簡単に「罰」になってしまうので、日本のアドラー育児では、その使い方についてはとても慎重だ。
1998年ころに、日本アドラー心理学会では「論理的結末の誤用」についての「事件」があった。
「論理的結末」が、親子関係が良くない状態で、親が感情の制御ができないまま、子どもを支配する道具に使われ、その結果、親子関係が悪化してしまうという状態に陥ってしまっている人々がいる、という指摘があった。
わたしなど、その後、「論理的結末」は怖くて、封印してしまっていた。
とはいえ、「論理的結末」は、本来は勇気づけのための技法だ。
ある程度アドラー育児をやりこんだ親にとって(つまり、親子関係がよく、感情の制御ができ、共同体への建設性ということを理解でき、課題の分離が真に理解できている親にとって)、「論理的結末」が、子どもへの強力な勇気づけとして働く場合がある。
つまり、アドラー育児が目指す、「責任をもって社会に貢献していける(responsible and contributive)、そのような大人に育てる、そのために共同体感覚に一致している共通感覚を子どもに教える」ということを実現する方向に働く場合がある、ということだ。
アドラー育児のプログラムの「Passage(パセージ)」のアドバンストコースが、2014年に開発された。
「Passage Plus(パセージプラス)」だ。
「選択肢を与える」「選択できない可能性」というページで、論理的結末について、日本人の親たちが誤用せずに使えるように、丁寧にわかりやすく説明されている。
「論理的結末」以外のアドラー心理学育児についても、パセージプラスではすべて紹介されている。
おかげで、若い親御さんたちは、安全にアドラー育児ができる。
…もちろん、自己流になることを避けるために、仲間たちとの点検は必須だが。
今回のAIJシンポジウムに参加して、野田先生が1980年にアメリカから日本にアドラー心理学を持ち帰って以来、先生は日本人に合った安全なアドラー心理学育児の方法をずっと工夫なさり続けたことがよくわかった。
そして、野田先生がお亡くなりになった後も、その野田先生のお仕事を引き継いだ研究が続けられ深められていることについて、たいへん有難く思った。