師走

師走に入り、気忙しくなってきた。

「忙しい」という字は、心を亡くす、と書く。

心に余裕がなくなって、さまざまなことについて忘れたり雑になってしまわないように、父の日々のお世話関連と、わたしの仕事関連と、お正月の準備関連の「やることリスト」を、朝昼夜3区分した日課表に記入してみた。

わたしの場合、こうして「見える化」しておくと、あとは淡々と遂行していくだけとなるので、気忙しさは減る。

…これで安心して、余裕綽々となり、あとで何かが抜けていることに気づいて、慌てるということもあるがw。まあ、自分取り扱いマニュアルとしては、この見える化が便利だ。

 

年末にむけてやることとしては、庭掃除や外階段の掃除といった外回りの掃除、窓拭き、換気扇の掃除も早めにやっておきたい。

美容院も行きたい。

年賀状も、年賀状だけでつながっている古い友だちや親戚がいるので、今年も出したい。

おせちのメニュー決めと、娘たちと夫と義母との役割分担も、できるだけ早めにしておきたい。…うちでは、おせち作りは、ちょっとした家族のイベントでもある。

 

昨年の師走は、20日に、次女が切迫早産で緊急入院して、1歳4ヶ月だったゆったんを、うちで預かることになった。

ゆったんのお父さんは、ご両親と代々続く家業を営んでいる。とくに年末がたいへん忙しいので、ゆったんは、うちで預かることにした。

保育園が、コロナ禍で新しい園児の預りを中止していたことも合わさって、結局、次女が無事あーくんを出産し桜が咲くころまで、うちでゆったんのお世話をした。

小さいゆったんは、突然お母さんがいなくなって不安だったのだろう。後追いの時期とも重なったのか、うちにいる間、わたしが見えなくなると必ず泣いていた。

トイレまでついてきていたw。…それもかわいいのだが。

 

わがやは、いきなり子育ての真っ只中となり、クリスマスもお正月もなかった。

夫は家事の戦力になってくれた。

父にも義母にも、行き届かなくなったが、かわいい孫と曾孫のためと、頑張ってくれた。

長女家族は、ゆったんの気が紛れればと、遊びにきてくれ、いつもの運動会やお祭りをしてくれた。

ゆったんのお父さんは、週に一回仕事休みの日に泊まりがけでお世話にきてくれていた。

ゆったんのサバイバル的には、頼りはばあばだったのだろうか、お父さんが来ても、ずっとわたしにくっついて離れなかった。お父さんお気の毒w

それでも、毎週毎週、律儀にきてくれて、ゆったんが泣いてもわめいても、お風呂に入れたり、食事のお世話や寝かしつけをしてくれたり、できることをしてくれた。

 

けっこう大変だったが、振り返れば、たくさんの人々に支えられていた。

思い出深い、年末~春だった。

 

今年の師走は何事もないと有難いが…、さあさあ、思い出に浸るのはこのくらいにして、目の前のお仕事しよう~。

 

人生苦もありゃ楽もある~♪、いつも苦、いつも楽、と固定的ではないのが人生だ。

もしまた今年も何事かあっても、「よかった」とそれを有り難くいただき(「よかった」の理由は後からついてくる)、見える力見えない力さまざまな力に支えられていることに感謝しながら、わたしにできることをしていくんだな。