ずいぶん涼しくなった。エアコンなしで暮らせるようになった。
今週始めはまだ熱中症アラートが出ていたことを思うと、急に秋がやってきた感じだ。
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今年7月にシンガポールから来日されたドルズィン・リンポチェに、会いに行った友だちが、リンポチェのお言葉をシェアしてくれた。
その友だちも、高齢のお父さまの介護をしている。
親の介護について、リンポチェは、
「親の介護は、六波羅蜜そのものだ。自分の時間を布施して介護している、同じ時間に同じことするのは持戒だ、忍辱もしている、智慧もある。」というようなことをお話してくださったそうだ。
大乗仏教で説く6つの修行徳目。
1.布施波羅蜜(分け与えること)
3.忍辱波羅蜜(忍耐)
4.精進波羅蜜(努力すること)
5.禅定波羅蜜(特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること)
…のことだ。
このお話をシェアしてもらって、わたしは涙が出て仕方なかった。
…このことについて、ずっと考えている。
父は、前のことも、先のことも、あったことや話をしたことを、次々に忘れてしまう。
日本語は通じるが、むかしのような対話的なコミュニケーションが難しくなった。
そんな父にとって、同じ時間に同じことをして暮らす毎日は、混乱することなく心地よいことだと思う。
穏やかに機嫌よく暮らしている。
わたしはと言えば、父の介護で、朝昼晩、同じ時間に同じことをする、ということの繰り返しに馴れきってしまうとともに、
何か乾いた虚しさを感じていた。
リンポチェの言葉によって、わたしの心に、命を吹き込まれたような気がした。
全体(仏さま)からの仕事として、
ありがたくいただいて、
…その意味など、ほんとうのところはわからないし、わかる必要もないと思うが、
父の介護をやらせていただこうと思った。
六波羅蜜なのだから…。
友だちは「介護は陽のあたるお仕事じゃないかもしれないけれど、陽のあたる心になる」と言っていた。
仏教の「物語」は、わたしにとって力になる。
そしてもうひとつ、
父にはもう、わたしの状況や思いを「わかってもらう」ことは期待できない。
その虚しさやかなしさも、通奏低音のように、わたしの心の中でずっと流れている。
なのに、父から、
リンポチェの言葉のような、「わかってもらえている」とわたしが思える言葉がほしいのだ。
かなわぬことなのにね…、そういうわたしの仮想的目標にも気づいてしまったw
(つづく)