続きです。
リンポチェのお言葉を聞いて、「同じ時間に同じことをする」ということについての、わたしの意味づけが変わってきているちょうどその頃、
カウンセリング学習会で、早期回想(子ども時代の思い出)を使うカウンセリングのデモンストレーションのクライエントをした。
たくさん気づいたことがあった。
話した早期回想は、
わたしが小学校低学年のときの夏休み、
2歳年下のNちゃんがうちに泊まりにきていたときのことです。
わたしもNちゃんもひとりっ子で、Nちゃんは遠くに住んでいたのですが、夏休みなど、よく互いの家に1週間とか2週間とかお泊まりして遊んでいました。
ある日、キッチンでテーブルを囲んでいたとき、
Nちゃんがわたしに「これちょうだい」と言いました。
「これ」が何だったかは覚えていないのですが、
わたしがちょっと渋っていると、
すかさず母が、「Mちゃん(←わたし)は大きいんだから、Nちゃんにあげなさい」と言いました。
わたしは、あげました。
そして、何食わぬ顔をしてトイレに行って、
おもいっきり泣きました。
その後また何食わぬ顔をしてキッチンに戻りました。
…という早期回想だw
カウンセラーさんが、「この思い出は、あなたにとってどんな風に具合が良くないのですか?」と質問してくださった。
どこが具合が良くなかったのか…、、
…母がわたしを「わかってない」と感じて、かなしかった。
仲間はずれになったように感じた。
わたしなりに、Nちゃんと一緒にいるときは、年下のNちゃんのお世話をして仲良くやっていたのに、
母から、できてない、まだ足りないと指摘されたようでかなしかった。
だけど、わたしはその思いを胸にしまって、トイレで泣くのだw
カウンセラーさんが「今だったらどうする?」と質問してくださった。
…「やっぱりトイレで泣きますw」と答えるわたしw
こういう状況で人前で泣くのは、わたしにとって美しくないのだw。人前で泣くとみじめになるから…。なかなか勝気なライフスタイルだww
カウンセラーさんが「今もトイレで泣くんだw、じゃあ、大人になった今のあなたが、トイレで泣いてるむかしのMちゃんに声をかけるとしたら、どんなことを言ってあげる?」と質問があって、
うまく答えられないでいると、
「じゃあ、同じ状況で、トイレでお孫さんが泣いていたとしたら、お孫さんにどんな風に声をかけますか?」と質問してくださった。
どんな風に声をかけるか…、、
…「Kちゃん(←9歳の孫)は、ちゃんとやってるよ。ばあばは、Kちゃんがいつもよくやっているのを知ってるよ。これからも、ばあばはいつもKちゃんを見てるからね。」と、そっと孫に声をかけるばあばになっていた。
…こんな言葉が、わたしにとっては「わかってもらえている」と感じる言葉だということに気づいた。
アドラー心理学では、早期回想は現在の問題と必ず関係があると考える。
父の介護でも、わたしは同じように状況を解釈していると気づいた。
リンポチェの言葉は、わたしにとって「わかってもらえている」と感じる言葉で、それがうれしかったのだ。
父に「わかってもらう」のは、もうかなわなくても、父の後ろに、「わかってくれる」大きな存在がいて、つまりリンポチェとかご先祖さまとか仏さまとかお天道さまとか…「全体」の象徴のような大きな存在、に見てもらえているんだと感じて、うれしかったのだ。
「同じ時間に同じことをする」について、ごちゃごちゃ考えずに、粛々とやろう、
やがて陽のあたる心になるかもしれないし、ならないかもしれない。
が、プロセスこそが大切だと思えるようになって、清々しい気持ちになれた。
(もうあと少し続く)