人生との間に生じる協力

月に1度の、オンラインでのアドラー英語読書会に参加した。

Eva Dreikurs『Adlerian Theory :An Introduction 』(対訳版『エヴァ・ドライカース『アドラー心理学へのいざない』大竹優子・河内博子訳)を読んでいる。

 

今回は、以下の箇所で、深い議論となり、たいへん興味深かった。終わってからも考え続けている。

Social Interest provides a perspective which enable the person to function with courage in a wide variety of situations and tasks. When one is not concerned with defending or proving one's status,one is able to appreciate many aspects of life and to learn from many experiences.Cooperation occurs not only with  other persons but with life, in general.(共同体感覚は人が多種多様な状況や課題に対して勇気を持って対処できるようなものの見方を与えてくれます。自己防衛や自分の地位を証明することにこだわっていない時には、その人は人生の多くの状況を正しく評価し、多くの経験から学ぶことができます。他者との間にだけでなく、一般的に、人生との間にも協力が生じるのです。) P31

 

「人生との間に生じる協力」ってどんなことだろうかということについてディスカッションした。

 

人生を支配しようとしても支配できないのが現実だ。

人生は、かならず生・老・病・死の4つの苦がある。

くわえて、

愛別離苦(愛する人びとと生別し死別すること※)

怨憎会苦(嫌いな憎い人びとと出会いともに暮らすこと※)

求不得苦(思い通りにならないことから生じる苦※)

五蘊盛苦(前の7つの苦を概括した苦※)

がある。

(※は、水野弘元『仏教要語の基礎知識』春秋社P181)

 

…いわゆる「四苦八苦」だ。。

人生は思い通りにはならない。

 

だが、人生に抗いたくなることはある。

 

アドラーのお弟子さんだったフランクルの、

「人間はあらゆることにもかかわらず-----困窮と死にもかかわらず-----、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下であったとしても-----人生にイエスと言うことができるのです。(フランクル『それでも人生にイエスと言う』P162,春秋社)」

という言葉を思い出した。

ナチス強制収容所での極限の体験からの言葉だ。

フランクルは、「あらゆることにもかかわらず」、人生にイエスと言うとき、人は人生に対して謙虚さと勇気を持つことができ、その人生と協力して誠実に生きていくことができるということを教えてくれる。

 

ディスカッションでは、「to appreciate many aspects of life」の「 appreciate  」は、「感謝する」と訳すのが、日本人としてはしっくりくるように思うということも話題になった。

日本人は「おかげさま」と、自然にも人びとにも、ご先祖さまや神仏など目に見えない存在にも、感謝する。

エヴァ・ドライカースのこの文章にも、そんな意味が込められているのかもしれない…。

人生にイエスを言い、人生の多くの状況に感謝することで、自ずと人生との間に協力が生じるように思う。

 

人生にイエスと言うことについては、わたしにとっては生きた仏教との出会いも必要だったが、それはまた…。