お盆の棚経

父は緩やかに回復している。

利尿剤を飲み始めて1週間、体重は4キロ増加していたのが、2キロ減少した。血圧も150台/70台と減少傾向にある。

まだ足首が、象の足のようにむくんではいるが、このペースだと、1週間後に目標である元の体重と血圧に戻るだろう。たぶん。

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お盆の棚経に、お坊さんに来ていただいた。

コロナ禍以来4年ぶりだ。

 

父の家の仏壇には、母がいる。

父はこの仏壇にいる母とともに、この20数年間歩んできた。何かあると「毎朝、お母さんと一緒に無事を祈っておる。」などと言っていた。

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昨年夏、父が要介護4の状態になって以来、毎日の仏壇のお世話とおつとめは、わたしに任された。

父は、この1年、母のことを忘れてしまったかのようだったが、

今回、お盆ということで、母のことを急に思い出したのか、「きちんと間違いがないように仏壇を綺麗にしておかんといけん!」と言い、父のやり方の仏具の掃除と配置についてわたしに教えてくれた。

父は、ちゃんとやっておかないと、母に怒られると思ったのかなw

仏壇を父のやり方でちゃんと整えて、忘れないように写真を撮ったので、母から怒られることもないだろうw

 

棚経に来てくださったお坊さんが、お盆の由来について話してくださった。

昔々、お釈迦さまの弟子のひとりが、「母親が死後に餓鬼道に落ちて、飢えと渇きで苦しんでいるのが(神通力で)見えました。どうしたら助けられるのでしょうか?」と聞いた。

その母親は、生前、意地悪だった。その意地悪の悪業の果で、餓鬼道に落ちてしまっていたのだ。

お釈迦さまは、「あなたの修行があける(旧暦)7月15日に、多くの者に施しをしなさい。母親だけ助けたいと願っても叶わない。餓鬼道で苦しむすべての者が助かると、母親も助かるのだ。」とおっしゃった。

弟子は、お釈迦さまの教えに従って、修行のあける(旧暦)7月15日に、生きている者たちに飲み物や食べ物をお布施し、そして目に見えない餓鬼たちに、飲み物や食べ物などをお供えし、幸せを祈り、供養した。

その功徳によって、業(カルマ)が流れ、母親は餓鬼道で苦しむ者とともに極楽往生した。

これがお盆の由来だ。

 

このお話を聞いて、先日のオンライン『般若心経』で学んだ、「すべては繋がっている」ということを思い出した。

存在は空性であって「私」とか「我」という実体的なものはないことと、あわせて「私」とか「我」はたえず生滅変化する相互依存の関係の中で存在している。

相互依存で「私」と繋がっている「私以外」が幸せにならないと結局のところ、「私」も幸せになれない。「私」と繋がっている「私以外」が不幸だと、結局のところ、「私」も不幸だ。

そして、空性であるからこそ、わたしたちは、「私」という自己執着(我執)をはなれることを選べるし、一切有情ともに幸せになる行動も選べる。

 

今回の棚経は、お坊さんによって、自分の家族や先祖だけではなく、生きとし生けるもの、見えるもの見えないもの、すべての幸せを願う心が大事なのだと学ばせていただいた。

…母が、16日にあの世へ帰っていくまで約2週間、母を思いながら、母とともに父やみんなの幸せを祈りたいと思った。