父に、切りぬきの綴りを捨ててほしいと頼まれた。
平成14年(2002年)から平成29年(2017年)まで15年間、父が購読していた囲碁雑誌の記事を、父が律儀に切りぬいて綴っていったものだ。
「難しいことが考えられんようになったから、もう要らん。次の資源ごみの日に出すとよい。」と父は言う。
…家に持って帰ってきたものの、この綴りには父の晩年の歴史が詰まっているように思えて、捨てられない。
父は若いころから囲碁が好きで、とくに母が亡くなった後、囲碁は父の暮らしにとって大きな領域を占めていたと思う。
1999年12月、父が72歳のときに母が亡くなり、実家での父の独り暮らしが始まった。
この綴りは2002年3月から始まっている。
母の三回忌を済ませ、お墓や仏壇もきれいにし、父にとって区切りがついた頃なのかもしれないと思う。
ちょうどそのころから、父は囲碁クラブに頻繁に行くようになり、この囲碁クラブは、父の居場所のひとつになっていった。楽しそうだった。
自宅でも囲碁教室のようなことをやっていた。
週1回実家のお掃除のお手伝いにきてくださっていたヘルパーさんの、小学生の息子さんに囲碁を教え始めたのもこの頃だ。ほかにも、知り合いのおじいさんが来てくださっていた。
2010年、父が83歳のときに、父はこちらへ移住してきた。
真っ先に囲碁クラブを探しを始め、いくつか行ってみた結果、市内の図書館の会議室でやっている囲碁クラブに行くことにすると決め、バスを乗り継いでよく行っていた。
メンバーの方々と対戦するのも楽しそうだったが、初心者の方々に囲碁を手ほどきするのもとてもうれしそうだった。
精進も怠らず、パソコンを買い替えて、家で、囲碁の先生にオンラインで指導を受けたり、オンライン対戦もしていた。
父の囲碁の切りぬきの綴りは、2017年4月で終わっている。
『最終回』とメモ書きがあるので、記事の連載が終わったのだろう。
だが、この切りぬきの綴りは、父の居間のテーブルの上によく置かれていた。
2020年、コロナ禍で父は外出を控えるようになり、背骨の圧迫骨折を煩って、腰に慢性的な痛みをかかえるようになった。
それでも、昨年の入院前までは家で囲碁を続けていた。
…3ヶ月間の入院で、仕方ないことだが、父の老いがうんと進んだ。
退院後、父は囲碁をやらなくなった。
「難しいことを考えられんようになった」とよく言うようになった。
パソコンも触らなくなった。
何度もやってみるが、何度やっても以前のように操作ができず、パソコンを触ること自体もう疲れてしまったと言う。
今の父は、毎日の日課をこなすことを一生懸命やっている。
「自分のことは自分でやる」と言いながら…。
朝昼夕わたしが行く時間や訪問介護の方々が来られる時間に合わせて、ベッドから自分で起きて、椅子に腰かけて待っていてくれる。
不自由な身体ながらも、紙パンツとポータブルトイレでがんばっている。
だんだん食が細くなっているので、食事を残すことがないよう、どのくらいなら食べられるとわたしに教えてくれ、時間をかけてよく噛んで残さず食べてくれる。
いつもと違う日課は今の父にとって緊張や混乱をともなうのだが、わたしが仕事や用事で出かける日には、忘れないように事前に目覚ましをセットして協力してくれる。
機嫌よく穏やかに暮らしてくれている。
先日友だちが、「お父さんは、今も『気力に欠くるなかりしか』だね。」と言ってくれた。
たしかに父は「気力に欠くるなかりしか」で、卑屈になることなく誇りを失わず、できることをして一生懸命に生きていると思う。
「気力に欠くるなかりしか」とは、海軍の五省のなかの一つだ。
父は、海軍の五省を、若いころから生き方の拠りどころとして生きてきた。
海軍の五省とは、以下のことだ。
一 至誠に悖(もと)るなかりしか
〔誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか〕
二 言行に恥づるなかりしか
〔発言や行動に、過ちや反省するところはなかったか〕
三 気力に欠くるなかりしか
〔物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか〕
四 努力に憾(うら)みなかりしか
〔目的を達成するために、惜しみなく努力したか〕
五 不精に亘(わた)るなかりしか
〔怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか〕
今では、背中も曲がって小さくなって、よろよろボロボロで、おかしなことを言ったりしたりするがw、父はこの五省を心の拠りどころにして、これまでも一生懸命生きてきたし、今もそうだし、これからも一生懸命生きていくだろう。
父が捨ててほしいと言った、この分厚い切りぬきの綴りは、わたしにとって、父の存在の象徴に感じるのだと、書いていて気づいた。
今日も資源ごみの日だったが、捨てていない。
捨てられない…。