何度も、何度も。(3)

翌朝、父の足湯をしているときに、

父が、ケアマネさんに「4日や5日なら、私ひとりでなんとかやれます(キッパリ)と言ったことについて、父の真意を聞いてみたいと思った。

わたし「昨日、お父さんは、ケアマネさんに、4日か5日だったらひとりなんとかすると言っていたけれど、本当にひとりでなんとかするつもりなんですか?」と聞いてみた。

父は「そんなこと言うてはおらんが」とビックリしているw

わたし「え?ケアマネさんに、ひとりでなんとかするって言ってたから、実際どんな風にするつもりかなと思って…」とこっちもビックリ。

父「そんなこと言うたんか。」

わたし「はい。」

父「そんなこと言わん。グラグラで米も研げん。」

わたし「誰かにお弁当を買ってきてもらうこともできると思いますよ。」

父「握り飯か…」

わたし「おにぎりがよければお願いすればいいと思います。ただ、いつも食べているやわらかいゴハンとオカズの調達も考えなければですね。。」

父「それはめんどくさいの。」

わたし「そうですよねー。でもお父さんは、本当にひとりでなんとかするつもりなのかなと思いましたが。」

父「いや、口からでまかせを言ったんじゃろう。」と、他人事のように言うwww

わたし「そうなんだ」(笑)

父「まったく覚えとらん。痴呆になってしもうた。」

(父は「痴呆」を恐れている。)

わたし「お父さんは痴呆ではないですよ。年相応に、言ったことや聞いたことをたまに忘れることがあるだけです。」

父「そうか」

わたし「それで話は戻りますが、もし万一わたしが動けなくなったときには、お父さんはどういう風にしたいですか?」

父「それでよい。」

わたし「それでよいって?」

父「ケアマネの言うようにすればよい。」

わたし「ケアマネさんにショートステイや入院の調整をしてもらうということですか?」

父「そうじゃ。」

 

…きっとまた忘れるのだろうが、「ひとりでなんとかする」という認識が、「ケアマネさんのサポートを受ける」に少し「上書き」されたかなと思った。

 

それにしても、他人事のように「口からでまかせを言ったんじゃろう」と、忘れてしまったことを取り繕った父には笑った。可愛いおじいさんだなと思った。

「ひとりでなんとかする」と言う父は、ほんとうのところは無理だと、実はちゃんとわかっているのだろうと思った。わかりたくないけれど、冷静によく考えると認めざるを得ない、というのが近いかもしれない。

一方、本気で「ひとりでなんとかする」と言ってる父もいる。

今の父は、こうした矛盾をあわせ持って、たぶん戸惑いながら、一生懸命生きているのだと思った。

わたしもいつか、父のようになる日がくるのだろう。それが老いというものだ。

ちぐはぐなコミュニケーションだが、このパターンのコミュニケーションでの「話し合い」が、父と一緒に暮らしていくためにはこれからも続く。どうせなら楽しんでつながりたいと思った。

父はきっと最後の最後まで、「ひとりでなんとかする」と言うのだろうなと思ったw

…と、わたしの認識も「上書き」されたw

 

 

(おわり)