記憶

昨日は久しぶりに長女と小3と小1の孫が来てくれた。

父は、孫たちに「ふたりとも、しばらく見んうちに、大きゅうなったな~。誰かわからんやった~」と喜んでいた。

長女のこともじっと見て、「○○ちゃんか? 変わったのお~」とつぶやいていた。

ほんとうに、誰だかわからないのかもしれないと思った。

長女が後からわたしに、「入院前に会ったときは、顔が肥えたのお~、って言ってたよ。」と笑っていた。

体重は変わっていないのだが、父は長女が太ったように感じたのだろう。

父にとって、長女は、おばさんになった長女ではなく、10年前の結婚式のころの長女の姿で、記憶が止まっているように思うときがある。

父は年相応に、特に短期記憶が低下してきていると思う。

父も自覚があるようで、メモ帳や携帯に、細かく記録を残す努力をしている。

父の机には、言葉や数字がたくさん書かれたメモの山がある。

数字や言葉の記憶は、父はメモをとることで記憶を補っているが、人の姿の記憶は、過去のある時点の記憶で止っている…と思うことがある。

わたしのことも、孫が4人もいるおばあさんのわたしではなく、むかしのわたしが父のなかで生きている気がする。

退院日に迎えに行ったとき、廊下の向こうから車椅子に乗ってやってくる父にわたしは手をふっていたのだが、すぐ側まできた父が、何か初めて見る人のような目でわたしを見ているのが印象的だった。話しかけると、記憶がつながったのか、いつもの父にもどったが…。

そのうち、朝、父の所へ行くと、「どなたさまですか?」と言われる日がくるかもしれない笑。

そんな日がきたら、毎回自己紹介して、父とわたしの瞬間瞬間の「今」を重ねていこうと思う、…というような妄想にふける。

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孫たちと一緒に『サウンド・オブ・ミュージック』のDVDを見た。孫たちにとっては初めて見る映画で、日本語吹き替えではなく字幕だった。

小3の孫は、字幕のなかの知らない漢字も前後の文脈で意味を理解できていた。

が、小1の孫は、漢字が少ししか読めない。

なので小1の孫のために解説していると「わかるから、言わないで!!!」と言われたw。

はい、わかるんだね、よけいなことしてスミマセン!

頼まれていないのに、おせっかいばあばでしたね~。


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昨日、孫たちが作った粘土のパン屋さん。

孫の「作品」はなんでも、記念に写真を撮る、ばあばバカです。