日曜日は、アドラー流山の会だった。
午前は、事例をひとつ提供していただき、『Passage』テキストにもとづいて学び合い、
午後も、事例をひとつ提供していただいて、『アドラー心理学基本前提の歌』と「エピソード分析」にもとづいて学び合った。
おわってみたら、午前午後に共通するテーマは、「アドラー心理学の子育ては、居心地のよい家庭作りから始まる」ということだったと思う。
パセージテキスト5R「勇気づけってなに?」のなかに、
社会と調和して生きるためには、「みんなが仲間なんだ」と思ってほしいんですよ。そのためにはまず、「家族はみんな仲間だ」と感じてほしいんです。だから、住み心地のよいくつろげる家庭作りをしたいですね。それもまた勇気づけなんです。
と書いてある。
昨日のおふたりの事例提供者さんは、まさに、住み心地のよいくつろげる家庭作りをしておられた。
親としてのいろんな思いや心配はあるけれども、
お子さんたちが、それぞれその子のままで、
自分は家族に必要とされていると感じながら、
家族と調和して過ごせるよう、
お子さんたちに接しておられる、
おふたりの事例提供者さんのそのお姿に、わたしは感動し、勇気づけられた。
子どもだけでなく、家族みんなが、
話したいことを話し、話したくないことは話さなくてOK、
ため息をついてもOK、
いつでも、くつろいで、羽を休め、心身を整えることができるような、
必要なら、作戦会議ができるような、
そんな家庭作りをしたいと思う。
ため息で思い出したのだが、
むかし、わたしは、夫がため息をつくと、無力感を感じるので嫌だった。
そのことを、当時のパセージのフォロー会で話すと、
「ため息つかないなんて、息が詰まるよ。」という感想をもらった。
そこで、気づいた。
よく考えると、ため息は、息を吐くこと。
ため息で、「は~」「ふ~」と息を吐くと、
そのあと、しっかり息が吸える。
深く呼吸すると、くつろぐ。
浅い呼吸では、くつろげない。
…と気づくと、ため息の意味が変わった。
それ以来、夫のため息は、彼がくつろぎを取り戻すための、善きことになった笑
そして、彼の人生の課題は彼が乗りこえるしかないのだけど、わたしにもできることはけっこうあって、くつろげる家庭を作ることだと、その時に気づかせてもらった。
今はと言えば、わたしが、よくため息をついている。
認知力の低下した父の言動に遭遇して、時々、鬱々となるのだ。
そんなとき、夫は、「そうだよな~」と言いながら、深刻にならずに、ただ聞いてくれる。
それだけで、いや、それだけだからこそ、わたしの場合は、ホッとできて、父の介護に向かう勇気がでる。
くつろげる家庭作りを、いま、夫がしてくれていると思う。
…ため息だけでなく、笑いも、呼吸が深くなり、くつろぎを取り戻せるな…。
笑いも大切だけど、笑うどころではないときに、ため息は効能がある。
日曜日の学びからの連想で、くつろげる家庭とは、安心して深くゆっくり呼吸ができる家庭、という意味もあるのだと思うのだった。