ふるさと

父は、WBC侍ジャパンの試合に、力をもらったようだ。

とても熱心にテレビ中継を見ていた。

父が昨年8月末に退院して以来、こんなに何かに熱心になっているのを見たのは、はじめてだ。

もともと囲碁が趣味の父だが、囲碁のテレビは、ただついているだけ、という感じだった。

「難しいことがもう考えられんようになった」と虚ろな目で言う。

だが、WBCの中継は違っていて、食い入るように見ていた。

父が生きてきた物語の、侍の血が騒いだのだろうか。

 

決勝で日本が勝った日、父は、リハビリの先生に、外を歩行器で歩くリハビリをやりたいと伝えた。

 

父は身体を支えるものなしには立っておれない。

外を歩くリハビリをするために、外歩き用の歩行器を使うことになった。

今日のリハビリのときに、外歩き用の椅子つきの歩行器を、ケアマネさんと一緒に、福祉用具の会社の方が持ってきてくださった。

 

父は、家のなかで歩行器を使っているので、歩行器の扱いには慣れているものの、外は大小たくさんの段差があるし、人が歩いていたり、車が来たりするので、注意が必要だ。

今日のリハビリは、リハビリの先生が歩行器にぴったり付き添って、敷地内をゆっくり歩いた。

緊張が大きかったと思う。

5分ほどで、歩行器の椅子に座って、休憩となった。

それだけで、今日は終わりとなったが、わたしには、大きな一歩のように思えた。

ちょっと感動した。

みんな、思わず拍手をした。

父はうれしそうだった。

 

今日は、桜が満開で、よいお天気だった。

これからお天気がよい日に、わたしも、外歩きのリハビリに付き添おう。


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父のいる場所が、わたしのふるさとだ。

…実家は、父と一緒にここで暮らすために処分したし、本来のふるさとの地に、わたしが帰る場所はもうない。

 

いま父がいるここが、わたしのふるさとだ。

父は今朝、銀行の預金通帳がないと言い、一緒に探しても見つからないので、

銀行に電話して、通帳を止めてもらって、再発行の手続きをしたら、

なんとタオル置き場から出てきたw

何とはなしに置いて、忘れてしまっていたようだw

こうしたことは、よくありがちのこととはいえ、振り回されていると感じることも多々ある日々だ。

嬉しいことだけでなく、面倒なこともすべてひっくるめて、ここが、いまのわたしのふるさとだ。

父とのふるさとの物語を紡いでいこう。