父の終末期についていろいろ考える

父(12月に96歳になった!)は、歩行訓練のリハビリをやめた。

今年3月末のWBC侍ジャパンの決勝試合に父は力をもらって、歩行器を使って外を歩くリハビリを始めた。

疲れやすいので、ほんの家の回りを休み休みゆっくりと半周するくらいの、どちらというと外気浴のようなリハビリだが、楽しみにしていた。

今年は猛暑のうえ浮腫も出たので、夏の間は外のリハビリはお休みして、家のなかでの、手すりをもって廊下を歩く歩行訓練のリハビリをしていた。

涼しくなって外でのリハビリを再開するのかと思っていたら、「歩くリハビリをすると足が痛くなる」と言い、外歩きも、ついでに家のなかで行う歩行訓練のリハビリもやめてしまったw

父はよく「もうめんどくさいんじゃ」と言うようになった。

リハビリもたぶん面倒になったのだと思うw

今は、関節が固まってしまわないよう、主に首から腰にかけての関節の可動域を広げるマッサージを、リハビリの先生にしていただいている。

わたしも、毎朝の足湯で、膝から下の筋肉のマッサージと、足の指がくっついて固まってしまわないよう、足の指を広げるマッサージをしている。

こうしたマッサージは、父にとって気持ちがよいようで、今のところ「めんどくさい」ことではないようだw

父は、ベッドに横になっている時間が増えている。

動かないと筋力の低下は進む。

やがて歩行器を使って歩くことも困難になる日が来るだろう。

 

最近、在宅介護のブログをたくさん読んでいる。

寝たきり直前or寝たきり中の親御さんや配偶者の在宅介護なさっているみなさんの泣き笑いの記事は、たいへん勉強になるし、たいへん勇気をもらえる。

 

人は必ず、最後は歩けなくなる日が来るし、食べられなくなる日がくる。

それにともない、在宅介護では、排泄介助・食事介助が大きな比重を占めるようになる。

それは父にも、まだ先のことだと思うが、必ずやってくる。

そうなったとき、介護するわたしにとっては、まあこれまでの延長で(スキマ時間は減るが)、夜間の排泄介助はヘルパーさんを頼るなどして、何とかできると思っている。たぶん…。たまに泣きながらかもしれないがw、娘としてできるだけのことはしたいと思っている。

今の父は、食事を自分で食べられるし、排泄も時々失敗もするが紙パンツとポータブルトイレでがんばってくれている。それは本当にありがたいことだと、在宅介護のみなさんのブログを読んでつくづく思った。

 

そして、在宅介護のみなさんのブログを読んでいて、大切なことは点滴をするかどうかの決断だということに気づいた。

父は、「食べられなくなったら、胃ろうはしない」と言っているが、その理由は「お母さんのときがそうじゃったから」で、母は長く闘病の末、病院で最後を迎えたので、「内臓はどこも悪くないです」と主治医からお墨付きをいただいている父とはちょっと状況が違う。

母は胃ろうはしなかったが、最後の一週間は点滴した。その一週間で母と親しかった人々が母とのお別れをした。

 

食べられなくなったとき点滴をするのかについて、父がどう考えているのか聞いていない。

点滴すると、余命は延びるが、内臓がむくみ、痰がからみ、吸引の繰り返しになり、その頻度が増して、本人が苦しむということは、母の最後の一週間を見ていて、わたしは知った。見ていたわたしも苦しかった。

 

 口から食事が取れなくなって、点滴のみでの余命は3ヶ月程度。 点滴を全くしない場合の余命は5日〜7日程度、長くても10日間ほどというデータがある。

これは、あくまでもデータだ。

意識がなくなって、点滴のみで1年ただ生きているというだけの90歳の親御さんを在宅介護なさり、いつ点滴をはずすかを決断するまでのご家族の思いを綴っておられるブログを読んだ。

 

食べられなくなったら、飲まず食わずが本人は一番楽だと思う。

こういう話を、今の父と話し合うことについて、あまり自信がない。

今の父は、母の最後のことも忘れてしまっているw。

 

 

最終的に、父が一番楽に最後の日々を過ごせるよう、娘のわたしの判断に任せてもらえるよう父にお願いするのかな…。

父が今「よかろう」と賛成してくれても、わたしから聞いたことも自分が言ったことも、かなり高い確率で忘れてしまうだろうw

「なにごとも自分で決める」を気概としている父にどう話すのか、よく考えてみたい。