薬が二種類増える

父は、言葉は通じるし対話もできるのだけど、記憶が消えたり、作り変えられたりする。

記憶が消えたり、あるいは作り変えられているので、脈絡のないおかしなことをよく言う。

笑って聞き流せることがほとんどだが、父が言うことが、父自身にダメージとなって影響すると考えられるとき、その対処がわたしには難しい。

 

父が、「腰の調子が悪いのは骨粗鬆症の薬を飲んでいないからじゃ。前に飲んでいた薬を先生に出してもらうことにする。」と言った。

 

一昨年、肝臓 γ-GTPとASTとALTの数値がだんだん上昇していったことがあり、いろいろ調べていただいた結果、骨粗鬆症の薬(ビタミンD3製剤)の副作用の可能性が考えられるということになって、服用を中止したという経緯がある。

父はこのことをすっかり忘れている。

 

昨年は、子どもも飲める一般的な漢方薬(人参湯)で、浮腫が出て(1ヶ月で体重が4キロ急増)、服用中止したこともある。

父はこのことも忘れている。

 

わたしが「また肝機能が悪くなるかもしれないから、お薬は増やさないほうがいいと思いますよ。」と言ってみると、

父は「肝機能は悪くなっておらん。あれを飲んでおると、調子がよかったのに、◯◯先生になって飲まんようになったんじゃ。」と、まるで訪問診療の先生が勝手に中止したかのように言うw

わたしが「お父さんの肝機能の数値が悪くなったから中止したんですよ。」と言うと、

父は「そんなことはない。長いこと飲んでいたが大丈夫やった。」と、「事実」にもとづくわたしの発言はあっさり却下w

わたし「年を取ると、肝臓や腎臓がお薬を処理しきれなくなって、副作用の症状が出ることは、よくあることと思いますよ。」

父「そんなことはない💢」と機嫌が悪くなったので、わたしは話すのをもう止めた。

 

わたしが言えば言うほど、父は自分の判断を否定されているように感じるのだと思う。

自分のことは自分でやりたい、ぜんふ自分で決めたい、薬を飲んで少しでも良くなりたい、という父の気持ちもわかる。

一方で、服用することで父の具合が悪くなるかもしれないという、「ワタシの心配」もある。

 

こういうときも、父の希望に沿って動くのが、父の尊厳を守るということだろうか?

…たぶんそうだろう。

わたしは、むやみに薬は飲まずに、できるだけ自然にしておくほうが、年も年なので、苦しさが少ないように思うのだが、それは「ワタシの考え方」だ。

心配しているのはワタシで、父はちっとも心配していない。

 

今日は訪問診療の先生がいらっしゃった。

父は先生に「腰の疲れがとれないので、前に飲んでおった骨粗鬆症の薬をまた飲みたいです」と言った。

先生「前に飲んでいたお薬は、効果が出るには期間もかかりますし、腰の疲れをとるという点では、あまり期待できないですよ。」

父「いや、前に飲んでいたとき、腰の疲れがとれました」

先生「前に飲んでいたお薬は、肝機能の数値が悪くなってやめましたよね?」

父「いや、そんなことはありませんでした。」

先生「・・・」

父「前に飲んでいたときは、調子がよかったです。具合が悪くなったことは一度もないです。」

わたし「父は飲みたいと最近ずっと言っているのですよ~。」と父に助け舟を出す。

先生「…そうですか。では、血液検査をしながら、1、2ヶ月飲んでみましょうかね。お年を考えて、お薬の量は、普通の処方より減らしておきます。」

父「それがええですな。」

という経緯で、服用することになった。

 

おまけに今回、父の希望で、止めていた前立腺癌の薬(ホルモン療法の薬)まで飲むことになった。

泌尿器科の先生から、4年前に、「PSA値は20年間ずっと正常値で落ち着いているし、年齢的に副作用の方が心配だから、服用は止めましょう」と言われた薬だ。

このことも父の記憶から消えていて、まるで泌尿器科の先生が勝手に服用を中止したかのように言うw

 

この1年間くらいPSA値が8台で横ばい状態(正常値は4なので倍の値)だったのが、今回9.1になったというのが、父の服用再開の理由だ。

父は「飲まんでええんですかの💢?」と先生に詰め寄る。

父は、癌=痛みにもがき苦しんで死ぬ、と思っている。

 

先生は、数値的にまだ飲む必要はないと考えておられ、服用には消極的だったが、「ではこちらも、血液検査で副作用をチェックしながら飲んでみましょうかね」と言ってくださった。

 

それなりに強い薬なので、父の身体のバランスが壊れて、飲まないより飲んだほうが苦しむことになるのではないかと、わたしは心配だが、父を止めることはもはや誰もできない状態だった。

 

そして父は希望通りになって晴れ晴れしているw

 

これからどうなりますことやら…

だが、父の選択を尊重し、「ワタシの考え方」や「ワタシの心配」は横に置いておいて、父を支えるためにできることをしたいと思う。

よく考えると、いつもこの結論に落ち着くような気がするw