一緒に話す

父が、「訪問診療の先生に話すことがたくさんありすぎて、15分や20分では時間が足りん」と言う。

困っているのかな?、手伝えることがあるかな?と思いながら、「なにを話すことがそんなにあるの?」と聞くと、

「簡単には言えん」と言う。

「お父さんが話したいことを、まずわたしが聞いて、紙にまとめておくと、先生に話しやすくなるかもしれないよ。」と言うと、

「いや、ええ」と言う。

…そういう会話が5回くらいあった。

 

ふだんの話から推測して、父としては、血圧の薬を減らすことと、2020年に服用をやめた前立腺癌の薬(男性ホルモン抑制剤)を再服用することの話をしたいのだと思った。

 

血圧の薬は、父はすでに自主的に?減らしており、ここ1ヶ月の毎朝の血圧の測定値も安定しているし、

以前先生も「1つにまとめましょう」と話をなさっていたので、

減らす方向で先生と話ができるとわたしには思えたが、

父のアタマの中はごちゃごちゃしており、うまく言葉にできないでいるようだ。

 

前立腺癌は、1999年にPSA値が高くなって見つかったのだが、ホルモン療法がすぐに効いて、PSA値は低くなり、以来、薬を飲み続けて経過観察していた。

やがて、主治医の先生から「薬を飲み続けるとそれなりの副作用もあるので、そろそろ服用をやめて、経過観察だけにしてみませんか?」と提案され、2020年に、父は薬を止めることに決めた。

そんななか、昨年夏にPSA値が正常値を少しこえて、今年に入ってからも1ポイント上昇している。

父は薬の再服用をしたい気もするが、先生は「PSAがちょっと高めですね」としかおっしゃらない。

むしろ先生は、父の肝機能の数値が、昨年夏以来、高めなことの方を心配なさっている。

…どうしたものか、こちらも父のアタマの中は何かごちゃごちゃして、うまく言葉にできないでいるようだ。

 

上記のわたしの推量を父に確認すると、だいたい当たっていた。

わたしが父に確認したことを、父は15分程度の時間で先生に話すことが難しいと思っていることもわかった。

確かに、いまの父は、話すときのスピードがものすごくたいへんゆっくりだし、

言いたいことを忘れてしまって、話があさっての方向に飛んでしまって、戻れなくなったりする。

 

 

…わたしの友達のお父さまが、軽度の認知症になって以来、人と大事な話をするときには、事前にご家族と練習をなさる、という話を思い出した。

 

そこで、「お父さんと確認したことを、いま、この紙にまとめたから、練習してみるのはどうかな?」と言ってみると、「そんなことは、せんでええ」と言うw

 

父はわたしに、「先生にぜんぶ話してくれんかの」と言う。

 

わたしがぜんぶ話すと、なんとなく父の残存能力を奪ってしまうような気がしたので、

「いいけど、先生と話したことが、お父さんの意向にそっているか、わたしが確認したいから、これでいいですか?とお父さんに聞きながら話してもいいかな?」と言ってみると、

父は「ええじゃろう」と言う。

「それから、先生にうまく伝わらなかったり、何か困ったときは、お父さんにお伺いを立てるから。その時はよろしくね。」と言うと、

「よかろう」と父は言う。

…こういう形で、一緒に話す=アドラー心理学で言うところの「父の課題を共同の課題にして力を合わせる」ことになった。

 

かくして、訪問診療のときに、わたしが父にかわって先生と話し、父に「これでいいですか?」と確認し、

父が「それで、ええです」と応じてくれながら、話は進んだ。

血圧の薬は、父の希望通り減らすことになった。

前立腺癌の薬は、来月の血液検査のPSA値が上昇したら、再服用を検討しましょう、ということになった。

 

同席していた看護師さんが、父に「いつもはたくさんお話されるのに、どうされましたか?今日は疲れちゃったのですか?」と気にしてくださっていた。

父は「いや、耳が聞こえにくいもんですから」と答えていた。

 

今回は、父にとって「難しい話」だったが、次回はいつものように、父に話してもらえるとうれしいのだが。

どうなりますことやら。