清拭や着替えや朝食介助や掃除など父の朝の介護を8時から始めて、2階の自宅に戻ると9時半くらいになっている。
この時間、夫は朝活で忙しくしているので、リビングではわたしは一人だ。
わたしは先ずお茶を淹れて飲む。
「あさつゆ」か「さえみどり」の香りと色が好きで、お湯の温度を適温にして、マジメに淹れている。
最近、自分の分ともう一杯淹れる。
もう一杯は、亡くなった母に供える分だ。
実家の仏壇は1階の父のところにあって、毎朝仏壇のお世話をして、母にも手を合わせているが、
2階の自宅では「一緒に」お茶を飲むところが違う。
お花がいけてある(造花だけどw)カウンターに、母のお茶を置いて、母と心のなかで会話しながらお茶を飲む。
ゲシュタルト療法の技法のひとつ、もう一人の自分と対話する「エンプティ・チェア」の感じだ。
「今日のお茶はあさつゆだよ」
「いい香りね」
「そうだね、いい香りね…」
「おいしいね…」
「お父さん、今日もトンチンカンなこと言ってるよ…」
「仕方ないねえ…」
「言い出すとずっと言いつづける…」
「聞くのもたいへん」
「うん…。…でもまあ、お父さんがなに考えてるか分かるのは、よいことだ。」
「そうね笑 なに考えてるかは、ホントよくわかるね笑」
「お父さんが言ってることで、かなえてあげられることと、かなえてあげられないことがあるのよね…」
「それはそうよ」
「かなえてあげられないと、申し訳ないと思ってしまうのよね…」
「お父さんの言う通りにはできないことはたくさんあると思うよ。いいのよ。できないことはできないで。」
「…だよね。わたし魔法使いじゃないものね。」
「そうそう」
「さあ、買い物にいきましょうかね」
「スーパーに、タケノコがもう出ていたよ」
「春ね」
「お父さん、若竹煮が好きよ」
「まだちょっと高いけれど奮発しちゃおうかな」
「いいね」
…という風に。
心のなかの母と話していると、わたしの中にある答えが見えてくる。
そんな静かなお茶の時間、落ち着くので気に入っている。
いしだ茶屋さんのホームページからお借りした、緑茶「あさつゆ」の写真です。