弱音をはいてもいい(2)

父は10年くらい前から、いつ「お迎え」がきてもよいようにと、終活をはじめていた。

長いつきあいの山口県菩提寺の住職から、たいそう立派な戒名ももらっているw 

お葬式はこちらでお付きあいのあるお寺のお坊さんにお願いし、四十九日は山口県菩提寺の住職にやってほしいこと、そしてその菩提寺にある先祖代々のお墓に納骨してほしいことを、わたしは頼まれている。

そして、父が大事にしてきた絵画や陶器や漆器や時計などは、「形見分けじゃ」と、すでにわたしや娘家族のところにあるw

実家の相続に関することも、だいたい整理できている。

にもかかわらず、父にとっては、ちっとも予定どおりに「お迎え」がこない。

父としては、「お迎え」がこなくても、前みたいに元気に自立して暮らせるようになればよいのだけれど、身体機能の低下がじわじわと不可逆的に進んでいるのが問題なのだと思う。

もうこれ以上どうしようもない状態に、「いつまでこんなことが続くのか」と父は苦しいのだと思う。

 

今回のカウンセリング勉強会のスーパーバイザーの先生は、医療の現場におられる方なのだが、

その先生が「多くの人は苦しんで死んでいく。たぶん当人よりもそれを見ている方がつらい。」

とおっしゃっていたのが心に残った。

当人も痛みなどでつらいと思うが、確かに見ている方が大きな無力感を感じてつらいのだと思った。大切な人であればあるほど…。

 

父の弱音を、ただただ聞こうと思う。

ただ「そうですね…」と相づちを打ちながら聞こう。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の最後の部分が心に浮かぶ。

父の弱音を聞くときは、わたしは無力な「デクノボー」でいいのだ。

 

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

 

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よく見たら、ビオラの間からチューリップのつぼみが顔を出していた。

季節は移り変わっていく。